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神輿

令和2年の祭典では、本神輿は拝殿にお祀りされません。

神泉苑の本神輿は、天明年間以前からあった神輿が、天明の大火(1788)にて焼失し、 焼け残った金具を用いて文化9年(1812)に再興されたものと考えられています。 現在、神輿の装飾品を収蔵する長持にも「嘉永元年(1848)新調」の銘があり、 少なくとも172年、遡れば200年以上の歳月を経た文化財です。

神泉苑の神輿についての古文書

文化九年(1812)5月29日
「神泉苑神事神輿通行ニ付願口上書」
乍恐奉願口上書
當苑龍王社神輿有り来り候処、天明八年申年火災之節焼失イタシ、其後再興難出来候処
此度右神輿焼残候金物ヲ用イ以前之通リ再興仕候ニ付、
八月朔日神事之節、境内門前神輿通行有之候様仕度、乍恐奉願上候
尤右者氏子之子供、其他信仰之子供打寄リ舁キ歩行候
依而大業成義者 決而無御座候間
何卒願上之通 御仰 被為下候有難可奉存候 以上


[現代語訳]
恐れながら申し上げます。
当苑龍王社の御輿がありましたが、1788年の天明の大火の際焼失し、
その後、再興することが出来なかったが、
この度、焼け残った飾り金具を用い以前のように再興するので、
八月一日の神事の際、境内門前にて神輿の巡行を致したくお願い申し上げます。
その際、神泉苑の氏子や他の信心の者が集い、かついで歩行します。
だいそれた大変な大事業というものではないので、
なにとぞこの願出をお聞きくださいますようお願い申し上げます。以上

[解説]
天明以前から存在した神輿が天明八年(1788)の大火で焼失したが、
焼け残った飾り金具を用い御輿を再興したので、文化九年(1812)に御輿を巡行する、という内容です。
なお、文化十年(1813)の境内図には南門の西側に御輿部屋、絵馬所の記載があります。