○令和2年 5月3日 神泉苑祭が行われました。
貞観5年(863)、疫病が流行した際には、神泉苑にて朝廷による初めての御霊会が行われ、六柱の御霊の霊台を設け、経典の読誦や、雅楽の演奏、稚児の舞などが行われ、天皇や民衆が見守る中、疫病退散を祈りました。その後、貞観地震など全国的な災害が相次ぐ中、貞観11年(869)の御霊会では、66本の鉾(国の数)を立て祇園社(八坂神社)から神泉苑に御輿を送り、天下泰平を祈りました。
本年の祭典においても、当苑本尊である善女龍王、聖観音菩薩の神仏両御前にて修法がとり行われました。行列の際には、世界の人々の安寧を願い、僧侶や地域の皆様が小型の剣鉾を持って境内を練り歩きました。
貞観5年(863)、疫病が流行した際には、神泉苑にて朝廷による初めての御霊会が行われ、六柱の御霊の霊台を設け、経典の読誦や、雅楽の演奏、稚児の舞などが行われ、天皇や民衆が見守る中、疫病退散を祈りました。その後、貞観地震など全国的な災害が相次ぐ中、貞観11年(869)の御霊会では、66本の鉾(国の数)を立て祇園社(八坂神社)から神泉苑に御輿を送り、天下泰平を祈りました。
本年の祭典においても、当苑本尊である善女龍王、聖観音菩薩の神仏両御前にて修法がとり行われました。行列の際には、世界の人々の安寧を願い、僧侶や地域の皆様が小型の剣鉾を持って境内を練り歩きました。