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神泉苑鐘楼
鐘の銘には、
「神泉苑中興の祖、快我上人により鋳造。
施主は千蔵院。
鋳物師は釜座の名越出羽大極入道浄正
正保3年(1646)三月吉祥日に
法印権大僧都 實祐が敬って申す」
と刻印されています。
(江戸時代の釜師名越善正の家系)
鐘の表面の東西南北には四智如来の梵字が記された、 密教的な曼荼羅を表すものとなっており、梵鐘そのものが大日如来と一体であると考えられます。
この鐘楼は江戸時代、宝永年間の華洛細見図や、安永9年刊の都名所図絵にも描写されています。
江戸期・明治の頃は境内の南西に位置し、現在は東北へと移築されています。
平成24年3月に鐘楼堂屋根の修復工事がなされました。
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