祇園御霊会


平安時代、疫病が流行し、多くの人が亡くなりました。 この災いは、無実の罪を着せられ亡くなった御霊によるものと考えられていました。 民衆は御霊を鎮め災厄を祓うために、仏事を行ったり、 歌舞や騎射、相撲、走馬などを行い、この御霊会のしきたりは畿内から諸国に広がっていきました。

貞観5年(863)の春に咳逆病が流行り、百姓が多くたおれ、 5月20日、朝廷は神泉苑で初めて国家的な御霊会を行いました。 早良親王、伊予親王など六柱の御霊の霊座を設け、 経典の演述や、雅楽の演奏、稚児の舞などが奉納されました。

その後、富士山の噴火、貞観大地震など全国的な災害が起こる中、 貞観11年(869)6月14日に、当時の国の数である66本の鉾を造り、 祇園社(八坂神社)から神泉苑に神輿を送りました。 これが祇園御霊会と号し、現在の祇園祭の発祥とされます。
御霊会の歴史(日本三代実録)